金田城(かなたのき)は長崎県対馬市美津島町黒瀬~箕形にまたがる古代の山城(朝鮮式山城)です。
白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した大和朝廷が、その後の防衛の為に気づいた城の一つで、山の地形を利用して作られています。
自然の地形と石塁で周囲を守り、石塁は高いところでは6メートルに達し、当時の対馬と金田城が、最前線の城としてとても重要であったことが伺えます。
現在では「二ノ城戸」が復元整備されて一般に公開され観光地として人気を集めています。
地図
古代山城 金田城と防人~対馬・万葉の旅
時代背景・7世紀の東アジア
7世紀、朝鮮半島では百済・新羅・高句麗の三国が抗争を繰り広げており、半島南部の百済と倭国(日本)は同盟関係を築いていましたが、660年、超大国・唐と新羅が連合して百済を滅亡させるという事件が勃発します。百済の救援要請を受け、倭国は朝鮮半島に援軍を送りますが、663年「白村江(はくそんこう、はくすきのえ)の戦い」で大敗。唐・新羅連合軍が日本本土を侵略するおそれが生じたため、筑紫・壱岐・対馬に防人・烽(とぶひ)を設置し、西日本各地に古代山城を築き、大陸からの侵略に備えました。詳しくはこちら
(一社)対馬観光物産協会Webサイト
金田城 出典:古代山城 金田城と防人~対馬・万葉の旅
http://www.tsushima-net.org/tourism/history_06.php
金田城(かなたのき)概要 wikiより
『日本書紀』に、「大和に高安城・讃岐に屋嶋城・対馬に金田城(かなたのき)を築く」と、記載された城である。
金田城は、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した後、大和朝廷が倭(日本)の防衛のために築いた古代山城である。667年(天智天皇6年)、高安城・屋嶋城とともに築かれた。最初の調査時は、「唐に対する危機感は、こんなにも強かったのか」と、膚で感じた遺構である。引用:金田城「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典 2016年10月25日 (火) 13:44 UTC」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E7%94%B0%E5%9F%8E
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金田城(かなたのき)関連リンク
恐怖の大王は海からやって来た!中世日本を揺るがす大事件「元寇」を斬新な視点で描く本格歴史大河ロマン!罪人として対馬に送られた鎌倉武士・朽井迅三郎は、この島で蒙古軍と刃を交える事に!
http://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_KS00000007010000_68/
「国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~」が日本遺産第1号として認定されました。各島の魅力を広く発信するため、特設サイトを公開しています。
http://kokkyonoshima.com/places/bunkazai/area:2
所在地: 城山(長崎県対馬市美津島町黒瀬)
シーズン: 春・ゲンカイツツジ、6月・ヤマボウシ・シダの若葉、9月・ダンギク、秋~冬・空気が澄み展望良好。他。
http://tsushima-net.org/feature/myfavorite001.php